1953年の夏、わずか15歳の萬其興は蘇州へ渡り、師匠と二胡製作の勉強を始める。生まれつき聡明な為、3年足らずで18歳の萬其興は一人前となった。当時、最も若い製作師だった。「あの時代は作業環境が悪く、二胡を一本作るにも長い時間がかかっていました。二胡の音色や見た目、全てにおいて不良品は許されないため、一日中工房で作業をしていました。」と当時の状況を思い出していた。
萬其興は二胡製作において極めて厳格で、彼の手で製作された二胡はどれも精巧で美しい芸術品と言えるだろう。材料の選別にもこだわりがあり、インドの紫檀か明清時代の老紅木を使用する。音色については絶えず改良を重ね、ニシキヘビ皮の選別から前段階の乾燥処理、皮張りから最後のチューニングまで、全て自分で行う。
萬其興の丹精こめて育てあげた二胡は『萬スタイル』の特徴を持つ。音が大きく良く通り、パワフルで、音色はふくよかで柔らかく、上から下までポジション移動がスムーズである。まるで江南地区の水郷のように柔らかで美しい二胡は多くの著名二胡奏者から認められている。陳耀星(チンヨウセイ)、鄭建棟(テイケントウ)、楊易禾(ヨウエキカ)、馬友徳(マヨウトク)ら有名演奏家が使用している二胡は、全て萬其興の手で作製された。
50数年間の努力を経て、前身の無錫市で初めての人民公社工場となる『梅村楽器工場』から、現在の萬氏が率いる『古月琴坊』が設立された。職人の大半が萬其興の弟子であり、『萬スタイル』の楽器はここで代々受け継がれている。
「今はもう年なのでそんなに多くの仕事は出来ないが、やはり多少不安もあります。特に皮張りの作業はチェックする必要がある。皮張りの工程は二胡の喉みたいなもので、そこの発声しだいで音色が左右される、最も重要なポイントです。」
萬其興は心を込めて二胡を作ることで、二胡と一体になっている。楽器と心が通じ合ってはじめて心に響く音色になる。
無錫市の二泉広場にある阿炳記念館に入ると、熟知した『二泉映月』の曲と共に、阿炳の故居の全てを感じ取れる。いくつかの狭い部屋と一本の二胡、まるで阿炳の傍らにいるような気持ちになる。ここの二胡は当時阿炳が『二泉映月』の収録で使用した二胡をもとに復元されたもので、その復元作業をしたのが萬其興である。
現在、萬其興は毎日工房で寝泊りをしている。質素な小部屋にある古筝とルームランナーは彼の文化・娯楽・運動活動の全てである。
「私は運動が好きで、若い頃はサッカーのシュートが得意でした。今も暇な時はテレビでNBAの試合を見てロケッツのヤオ・ミンを応援してるんですよ。」
70歳を越えているけれども、日々の生活はシンプルで充実している。